粗大ごみとの思い出にまつわる体験談

新製品が開発され市場に投入されれば、昨日までの王者が旧式品扱いされ、たちまち市場から駆逐されてしまう世の中

どんな天下も永遠に続くことはありません。新製品が絶えず開発され、市場に投入されている家電業界だと、その傾向がより顕著です。昨日までの王者が旧式品扱いされ、たちまち市場から駆逐されてしまうのは、珍しい話ではありません。
しかし、日本人は物作りに対し愛着があり、苦労して購入したもの自体への愛着もまた深いのです。
今回紹介する話(体験談)は、歴史の流れや時間の経過から粗大ごみになってしまったものにまつわるものです。

カセットテープそのものが没落してしまうと、ラジカセも使用する必要がなくなる相互補完体制

CDが主流になる前の音楽記録物と言えば、レコードというイメージがあります。これは現在でも愛好家が多数存在しており、メインではありませんが製造が続いています。しかし、カセットテープともなると、もう殆ど生産されておらず、それ自体の劣化(痛み)が思いの外激しいため、忘れ去られた存在となりつつあります。
そんなカセットテープを再生するのに用いられてきたラジカセともなるとなおさらです。かつてラジカセは人気商品の一つであり、私が子供時分のとき(1990年代の頃)には、夏休みのラジオ体操や各種の学校行事などで積極的に用いられてきました。誰でもなじみがあるものだったのです。

しかし時は流れて、カセットテープそのものが没落してしまうと、ラジカセも使用する必要がなくなり、急速に姿を消していきました。ガソリンがなければ車が動かないのと同様に、相互補完体制にあったのです。
私も時が流れて行くに従って、それのことをすっかり忘れていました。ビデオテープなどもそうなのですが、新製品に取って代わられて消えたものなど珍しくはなく、マニアでもなければ記憶していないだろうと思っていました。しかし、完全に記憶から抹殺されたと言えばそうでもなく、何かの拍子に目にすれば、昔のことを思い出すことができたのです。

使い道がない古ぼけたラジカセ、時代の流れがかつて持てはやされたものを粗大ごみにする

私があるときに知人宅の片付けを手伝っていたとき、もう古ぼけていたラジカセを一台見つけました。購入当時は高かったであろうそれは、スイッチの一部がへこんだままになっていたり、茶色いシミのようなものが随所についていましたが、それでもかつての面影を留めていました。
「何となく捨てられなくて取っていたのだけれど、さすがにもう捨てようか」と知人は言いました。聴けるカセットテープがもう手許になく、ラジオとしての機能はとうの昔にお釈迦になっているため、どうにも使い道がないのだそうです。修理したくても、メーカーももう部品すら持っておらず、同型製品もないため、自力修復も不可能となればやむを得ません。

時代の流れが、かつて持てはやされたものを粗大ごみにすることもあるのだなと、痛感させられた話です(彼自身はそのラジカセを捨てたくなかったようなのですが、身内から邪魔者扱いされ、どうにもかばいようがなかったそうです)。